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コイパーク流 錦鯉世界の問題点と課題



錦鯉世界の問題点と課題

販売店の少なさ。

このホームページを見ていただいた方で、”よっしゃー!、ここは一発錦鯉を飼ってみようじゃん!”と思ったときどこで手にいれますか?
錦鯉は日本原産の観賞魚なので、日本に一番多くいるはずなのに、錦鯉をちゃんと販売しているところはとても少ないのです〜。超寒ーい悲しい現実と直面します。なんとも不思議な話しなのですが、普通の地域は熱帯魚屋さんの方が数がずーと多いはずです。日本の中には極まれに鯉やさん(生産者さん)の多い地域がありますが、そこが特別ですね。

うちの近辺でも、夏が近づいてくるとホームセンター・ペットショップに金魚と一緒に売られますが、年間を通して販売しているところはないですね〜。そもそも熱帯魚コーナーのおまけいう感じですし、管理が悪いので万一購入してもすぐに死んでしまわないかな〜と、こっちが心配になるぐらいです。ハラハラしてしまいます。

結局は商売ですし、ホームセンターは観賞魚店ではありませんから、売れない生き物を置いておくことはないのでしょう。当たり前のことですよね〜。熱帯魚店では鯉がいるのを見たことはほとんどないです。鯉も熱帯魚でないからかな〜。でも不思議なことに金魚はいたりします。あと川魚コーナーとかあったりするのですが、そこにも鯉は入っていません。どういうこと??

日本のほとんどの人が錦鯉という言葉を知っていますし、公園にもいっぱい泳いでいるのに(みんな喜んで餌をあげてますよね〜)、実際に購入するとなると売っているとことがすごく少ないです。普通の人と話すと、世の中に鯉やさんというお店が存在するということだけで、驚かれるのですけど、、、。


錦鯉が置物になった。

問題は、なぜこんなことになってしまっているかという現実です。
(だれも問題だととらえていないかもしれませんけど、、。私だけ!?私だけでもいいけど〜。)


現在、錦鯉は国内の観賞魚の世界では低空飛行状態が続いています〜。とりあえずまだ墜落はしていません〜。

私が知らないその昔、高度経済成長ごろ錦鯉ブームがあったそうです。ヒゲさえあれば売れたというぐらいの話だそうです。そのころ生まれた私には、まったく想像がつかないのですが、錦鯉がブームになったことが驚きです。日本原産なんだから自然体でいいじゃんと思っちゃうんですけど。でもブームは現実にあったそうで、、、。

問題としては、いつからかはわかりませんけど、錦鯉を美術品のような”物としての高価なイメージ”を持たせたことが働いて、結果としてそれが現状をまねいているのでは!?と感じてしまいます。生き物である以上、それをとりまく環境をひっくるめて文化とはなりえるかもしれませんが、直接の芸術品や美術品にはなりません。業界サイドが働きかけた気がしますが、、。鯉を置物にしてしまった感じです。

ブームって不思議で、なんかつい熱くなってしまって、気がついたらみんな夢の中で踊っていた状態ぽいです。結果として気がつくと、あれ、なんだったんだ〜ってことになって、熱が冷めた人たちは去っていきます。俗に言うにわかファンね。周りから見ていた人たちには、すごかったときのイメージだけが残っていきます〜。ブームってさめると、砂漠のようなドライ感となりますよね。

今までにも、思えば何でそんなものに徹夜組みまででたんだーってブームいっぱいあるでしょ。あえて言いませんが、、。

現状では、自然美、躍動感、神秘な部分、等、そういう部分が錦鯉から置き去りにされた感じを受けています。
鯉を"物としてとらえマネーゲーム化”した感覚といえばいいのかな。鯉は転売を繰り返すことが多いのも事実ですしね。
錦鯉が観賞魚という部分から離れ、”高価な品物イメージ”がつくほど、あおるほど、一般の人とは”別世界(別次元)の物”に変化してしまいくような気がしています〜。変化してしまったとも考えています。

実体験ではないので細かい事実は知りませんし、現状からさかのぼって想像している部分が多分にあります(生まれたころなので〜)。私は当時を知りませんので、その時代を生きた人たちにとってはそうでないという意識がもしかするとあるかもしれません。

正直、今現在、愛好家も多かったら何も不思議に感じなかったでしょう。しかし、現実は低空飛行状態です。低空飛行でないという人も出てきますけど、それは横においておきましょう。現実逃避見たいなものですね。気持ちはわかりますが、、、。

”錦鯉は、お金持ちの道楽だ!!”
。多くの人のイメージはまず間違いなくそうであると考えています〜。なぜなら、鯉を飼っていると話すとお金もちだね〜っていわれてしまうことが多いからです。また、優雅なご趣味をお持ちでって言われてこともありました。優雅な趣味って何〜!?。 こんなイメージがある限り、なかなか一般の人は錦鯉の世界に入ってきてはくれないと私は思っています。もっとズバリといえば”錦鯉を飼うことがなんとなく成金趣味っぽい”んですよね〜。

成金て悪いことではないと思うのですが、代々資産家です!っていう人以外は、みんな成金にしかなれないわけだし。成金ってあんまり褒め言葉には使われないですよね〜。どちらかというとバカにするときにつかっているような〜。かといって完全な貧乏人のひがみからでているとも思えないし(少々はあると思う)。

結果として、成金のイメージが良くないと、必然的に鯉のイメージもそれに結びついてしまいます。鯉のイメージを変えるには2つ、成金のイメージを良いものにするか、成金趣味イメージからの脱却のどちらかでしょう。成金が何にお金を使おうとどうでも良いが、そのために鯉が影響を受けるのであれば、鯉が好きなものとしては、ちと困った話しです。私的には、成金趣味的なイメージから脱却して欲しいと考えています。成金のイメージをどうこうすることは難しいと考えているからです。それは個人の問題でもあるわけだし。

めったにメディアに登場しない錦鯉ですけど、登場したときは金銭の話しがメインにのぼることが多い。

”錦鯉は高級魚で特別な人が買う魚、成金趣味!?、一般人には縁のない魚である。”
そのようなばかげたイメージはさっさと払拭しないといけません!!。

払拭しないとどうなるか、超簡単、低空飛行が墜落するだけです。

過去を知らない、あるいは、過去としがらみの無い愛好家は力をあわせて
錦鯉の正しいイメージ(普通のイメージなんですが)を一般の人に伝えていくべきだと考えています。
(錦鯉はだれでも簡単に飼育できますし、色のついた鯉なわけですし)

簡単にいえば、錦鯉の世界にある特殊な例が過去に先行してしまって、
実際の手軽なイメージはどっかに吹っ飛んで消えってしまったと考えています。うーん残念。

現在の愛好家として、錦鯉が他の魚のように普通の観賞魚として受け止めてられていないこと、
一般的にみれば、ほぼ無視状態にあるのはとても残念です。


単一趣向が市場を支配する。

現在の錦鯉の市場で、お金をつぎ込んでくれる人は一部の人々、その一部が市場を支えている構造となっています。なぜ、そうなるかといえば、一般愛好家が少ないため、一般愛好家の年間に使用する金額が全体から見れば多くないからですよね。中間層の存在が少ないというか、バランスの悪い構造体になっているのはたしかだと思います。そもそも手軽に鯉を買えるところが少ないわけだから、何もしなかったら新規愛好家が増えようもないですしね。

ある意味、その”一部の人たちが大好きな価値観が錦鯉世界の価値観になってしまっている”と考えても理屈的にはおかしくないわけですよね。

10人、年間5000万つぎ込んでくれる人がいれば、5億円市場。年1万円をつぎ込む愛好家であれば5万人集めて同レベルです。どちらが好む世界を作るほうが儲かりやすいかはわかるかと思います。しかし、どちらが危ういかを考えればそれもわかると思います。10人中2人が抜けたら、4億円市場に下がってしまいます。少ないメンバー構成の世界観が大衆化するとは考えにくいので、そういった点からも新規の愛好家の大幅な増加はまず望めないでしょう。市場としては大衆化(ブームでなく)したほうが安定するとおもいますが、現状の世界観では大衆化する理由がみつかりません。大衆化させる(できる)理由が見つからないということは、持ちつ持たれつの自己満足的な世界観の中でやっていくしかないということです。

結局、現実として、徐々に国内需要は落ちながら低空飛行状態が続いています。

どうすればよいのか?、新しい錦鯉の価値観を作り出し、共感して新規愛好家になってくれる人を増やすのが良いだろうと考えています。鯉を安売りするということではありません。今までの価値観をすべて却下するのではなく、こういう楽しみ方もあるよ〜と提案していく、いっしょに作っていくものだと思っています。


愛好家の高齢化。

今の日本と同じく今いる愛好家はどんどん高齢化をたどっています。若い愛好家がなぜ増えないかを考えている人はいますか?。錦鯉は若いもんには理解できん、理解できんもんが悪い!、なんて考えがあるのであれば、若い人は見向きもしないでしょう。爺さんのたわごとで終わってしまいます。たわごとレベルならまだしも世間でよく言われる老害となったら最悪です。害ですので毒ですよね。

自分もいずれは年をとるのですけど、年を取れば誰しもが良い人間になるわけではなく、困った人はより困り者に変身する場合も多いです〜、気をつけよーと。まじめな話、若い人を育てようという心意気は必要です。育てるというのは自分の価値観を押し付けるのではありません〜。若い人の価値観を伸ばす手助けで十分でしょう。趣味なんだし、スポーツでもないし。たとえば、あなたがベテランで初心者と鯉を鯉やさんに買いに行ったとします。あなたは、初心者の人に同じ値段帯の中から自分の欲しい鯉を譲ることができますか、自分の方が真っ先に買っちゃりしていません!?。自分が買った後でこれがいいよ〜と薦めていませんか?それはちょっと変ですよ。

新規の愛好家が増えず、これ以上の高齢化が進んで現在の愛好家が死んでしまったらどうするつもりなのでしょう(人間の寿命には限りがあります。近未来なくなる日がくるかもしれませんが、、)。どうするつもり?って自分で書いておきながら答えはもう見えているわけです。そう、国内での錦鯉文化の消滅です。

ちなみに、諸事情があったときに自分の鯉を託せる若い人はいますか〜?


国内需要と海外生産。

現状錦鯉業界は輸出に頼り切っているわけで、これ以上に国内需要が減ったらもっと輸出でしょうか!?そんな好都合に世の中は動いてくれるものではありませんよね〜。世の中は感情だけで動いているわけではありません〜。それとも鯉やさん自体が減少して、自然と輸出量との釣り合いが取れてしまうなんて、とても悲しいことです。

錦鯉を生産しているのは日本だけではありません。外国が本気で生産を始めたら規模・価格では勝てません。中級グレード未満(以下)の鯉ではまず無理でしょう。海外での病気発生の件はともかく実際に海外生産は始まっていますし、、現状、日本も同じく病気がでましたので、その点での優位性などないでしょう。それに海外の生産量に押されて日本からの輸出も限界がくるときが来ると考えています。そう遠くない未来にですよ〜。いま、日本には海外からのバイヤーが買いつけに来ていますが、来ているときに次のことを考えて行動していかなくてはなりません。来なくなってからは遅いはずです。


いい加減本気で国内の一般愛好家の人口を増やすことを考えるべきでは!?。
(プロもアマも同じですよ。同じ世界にいるわけですからね。)
と思ってしまいます。


錦鯉は生活必需品でないんです。

そもそも感情的なものは横においておいて、実際問題、錦鯉は生活必需品でないので、無くなっても愛好家側が日々の生活に困ることはないのです。現在進行形の愛好家として将来自分の好きな鯉が手に入らなくなるのとても悲しいことです。

どのように脱却するか?、今の愛好家の減少は、以前と同じやり方の限界が来ていると判断するべきでしょう。愛好家でない人たちに”楽しそうだな〜と思ってもらえるような環境になっていない”ということです。以前のように錦鯉を””として提供して(言葉で言う言わないでなく現実的な問題として)、所有して満足してもらうのではなく、愛好家に"鯉の成長を楽しんでもらう”、形でないものの魅力を提供して行くべきだろうと考えています。それが、鯉の世界へ新しい愛好家を招くと思いますし、結果として市場規模も多くなっていくはずです。物として提供すれば、アキが来ます。

業界内でも、数は少ないですが、所有する喜びでなく”鯉の成長を楽しんでもらう”とする動きが増えてきました。鯉やさん(養魚場)同士が手を組んでより高品質な鯉を目指す試みも出ています。

近年の若い愛好家の方は育てる楽しみを大切にしている方が多いように思います。育てる楽しみとは、鯉の成長過程を楽しむことで、結果として錦鯉に対する愛情のも深まりますし長く楽しむものだと考えています。鯉文化を育てるよい方向性への循環を生むと考えています。そういった部分に引かれて、愛好家になった人たちは一時のブームで去っていくことはないでしょう。(今後鯉がブームになるかどうかはわかりません。日本の住宅事情をみるにまず池だけの飼育では難しいと考えていますし。)


錦鯉のブランド化。

話は変わって、商品としての鯉をみてみましょう。
現状では、○○産等のブランド名!、○○品評会優勝の兄弟鯉!で本来の価値以上の高値がつき、それらが、あたかも金額に見合った鯉として売れていく様な状態です。普通に考えれば、優勝鯉の兄弟って?、優勝鯉は実際すごいと思いますが、兄弟は優勝と関係ないじゃん!って思わないのかな〜?、兄弟のほうがすごかったら兄弟のほうが優勝してますって!!。

この世界には、どうもそういう考えを持たない人も多いようです。これらに共通して付きまとうのは品評会の存在です。品評会の結果がよい鯉である錯覚を引き起こしてしまう。品評会はいい鯉を選ぶ場ではない。ルールに則ってもっとも適した鯉を選ぶ大会です。本来品評会の結果と、鯉の生まれ持つ良さは別格なのであるが、現状ではそうはなっていない。間違いなく品評会中心に市場は動いている。ルールに則った大会であるわけなので、提供するほうも提供しやすく、購入側もわかりやすい。

また、「単一趣向が市場を支配する。」でも書きましたが、そういう人たちがつぎ込むのは、品評会があるからといってもいいでしょう。言ってしまえば単一趣向の鯉が中心にあって、それを基本として動いているような感じです。つぎ込んでくれる人がいるから成り立っている部分は現状では大きなウエイトを占めています。

もたらす結果は単純で、良い鯉として購入しているつもりなのに、育てると出資した金額に見合うだけの鯉にならない。それで鯉は難しいと結びつけてしまいがちです。難しいのではなく当たり前のことなのです。購入時点で、もともとそれだけの金額に見合う鯉ではないのですから、、。どんな名人が育てたって納得する鯉にはならないでしょう。こんなつまらないことはありません。つまらないことを続けていく人などいません。楽しいから趣味であり道楽なのですもん。眉間にしわを寄せてがんばるものではありません〜。
挙句のはてに、購入店からも"お宅の水質が合わなくて綺麗にならなかった"なんて言われたあかつきには、ズッコケてしまいます。生き物ですからそういう場合もあるかもしれませんが、どこでもかしこでもジャンジャン起こることはありえません。それだけの力のある鯉でないというだけですよ

この世界は、鯉やさんと愛好家の信頼関係がとても希薄な感じを受けます。鯉やさんを信用しない人も多いですし。客をバカにしている鯉やさんもいるわけです。錦鯉に関わる同じ世界にいながら、この希薄な関係は悪循環をもたらしていると思いますね。希薄な原因の一つとして、売る側にも当然問題があるわけです。利益を追求するのは良いですが、利益を広く還元する場(特定のでなくて、多くのお客さんが楽しんでもらえるようにする)を作らなかったのだと思っています。多くの場合、自分たちで自分たちの首をしめますね。


養鯉場の差と無印鯉。

○○産という言葉がおどっていますが、どこの養魚場であっても、その看板を背負える鯉(他の養魚場と競えるような鯉)は毎年一握りです。あとは、たまたま、そこで生まれたというだけの鯉です(当然、養魚場により生産レベルの差はあるはずですけど)。言い方は悪いですが、鯉のレベルと生産数の関係は、頂点の鯉を一匹とするならば、それを頂点とするピラミッドになっているわけです。底辺が狭く、頂点が高くそびえる養魚場もあれば、底辺が広く、頂点が低い場合もあるということですね。

三角形の底辺の方に行けいくほど、”どこで生産されていようが、ほとんど変わらない”というのが本当だろうと思っています。その部分の鯉たちは、実質無印鯉であり、養魚場の名前など無意味ですく。そのために鯉を見て判断するのが本来だと思っています。それを判断するのが、店であったり、愛好家であったりするわけですが、上記にも書いたように、現状ではネームバリューの大きさが鯉事体を見て判断することよりも大きな影響力を持っているように感じます。これらに関しては、愛好家側の意識の問題も大きいはずですよね〜。確かに、鯉が輝かなくても、この鯉は有名な○○産なんだ〜っていう話題つくりにはなりますけどね。有名な○○産の無印鯉かも知れませんが、、、○○産であることは間違いないわけですからうそではありません〜。最後の駆け込み寺みたいな感じも受けます。

プライスカード(価格表)で鯉を判断してはいけません。鯉を見て気に入ったから値段を聞いて折り合いがつけば買うというのが大切というか、普通のことだと思っています。だだ、現実的には、その折り合いのつけ方、納得のしかたが、鯉そのものよりもネームバリューであったりするわけで、不思議な感覚ですよね。

がんばっている生産者が増えれば良い鯉が増える往々にして、まじめな人が損をすることが多い世の中です。しかし、コツコツと手間隙かけて生産している人にしか立派な鯉は作れません。万一、立派な鯉がいなくなってしまったら、何より私が悲しいです〜。


”良い鯉は良いですよ!!”、全国どこでも良い鯉は良い鯉ですね。”
錦鯉は、新潟、広島だけで生まれるのでなく、生産者さんがいればどこでも生まれてきます。



錦鯉業界で、まじめな人が損をするような世界を作ってはなりません。
本物の良い鯉を次世代に残す意味でも、これは愛好家としての使命だと考えます。

売れれば何でもいいという人もいるかもしれません(商売だし)。そうではなく
いやいや現状は違うぞということなら、これほどありがたいことはないですね。



結果として、良い鯉を生産できない生産者やその場限りで販売してきた小売店がつぶれるかもしれません。
しかし、これらは潰れていただいてもいいのでは〜。感情的になる必要もないかな〜。もともと存在する理由が無いのですから、、、。


価値観の多様性を求める。

現在の錦鯉の価値観は鯉の多様性とは反対に画一的であると思われる部分が多いですね〜。
ここで鯉を""としてあつかうと、結局のところ、お金持ちしか楽しめないことになってしまうというか、現状のままというか〜。これでは以前となにも変わりません。一部の人しか楽しめないような状態があるのであれば、とても問題だろうと思っています〜。一部分をターゲット層として成り立つ世界は、顔色をうかがう世界でもあるわけです〜。うさん臭さが付きまとってくるんですよね。

しかし、"鯉の成長を楽しんでもらう”ことの良さは、幅広い鯉の値段の中で自分のレベルにあわせた楽しみ方ができる点があるところです。自由度が広がるわけですよね。もっと多くの人に楽しんでもらえます。

300万の鯉を購入する愛好家が数人いるだけより、1万円の鯉を購入する愛好家が3000人いる方が楽しいじゃないですか!!。愛好家の裾野が広がるっているという意味でですよ〜。夢の鯉を買える愛好家も当然必要です。養魚場もTOPレベルの鯉が売れなかったらそれはそれで困ります〜。

ほんと ”育てる楽しみ”が話題の中心なら300万の鯉の購入者も1万円の鯉の購入者も同列です。違うのは鯉の値段だけです。少なくとも、買えた、買えなかった、だけの話では次元が低すぎます。もっと、楽しみを共有できる方向性がたくさんあることが大切だと考えていますよね〜。鯉は置物じゃないんだから〜。


品評会ガチンコファイト。

綺麗に仕上がった鯉を品評会用に直前に購入し”品評会に出品して賞を取る!”ことを目的にする。まさに意地のぶつかり合いの象徴のような行為です。品評会で勝てる鯉が欲しいと言葉にだして買いに来る人もいるぐらいですし。それも各個人の満足のしかたですし、自由なことです。その後、その鯉をどうするかで鯉との接し方がわかるでしょう。賞をとったら、鯉を売って賞状を残すのであれば、愛好家ではないな〜と思っちゃいますね。

しかし、自分で育ててない鯉で賞を取ってなにが楽しいのか???私には分かりません。お金さえあれば何とでもなるのも錦鯉の世界の事実ですし(特に最近は)。つぎ込んでくれる人たちが満足する世界観を中心にしているのも間違いないでしょう。何度も書いていますが、その人たちで、市場が支えられている部分があるわけですからね〜。これらの人々は店にとって儲けさせてくれるお得意さんかもしれませんが、あくまで全体の一部の方向性であって欲しいものです。それでいいのなら、単なる鯉を使ったマネーゲームでしょ。鯉好きとは名乗って欲しくないですね。なんと言えばいいのかわかりませんが、賞状好き!?


鑑賞って何を見るの。

鯉を鑑賞するって言いますけど〜。そもそも何を鑑賞するものかって決まっているものなのでしょか?、鯉の見方をHOW TOしてくれている本とかもありますけど、大体同じようなことが書いてあるような気がしています。自分が見て楽しむものですから、好きなところを鑑賞すればよいと思いますけど、マニュアルみたいなものを見ておかないと不安になるのでしょうか、自分が好きならそれ以上のものはないはずなんですが。

私は、現在、形質(質)を鑑賞して楽しむタイプですから、模様は2番手で楽しんでいます。なので、世の中で人気がある模様だろうと、ない模様だろうと、形質(質)を鑑賞して楽しめたら、満足です。ぜんぶ、満足できるのがいいわけですが、生き物ですから、そんなことはまずないです〜。自分は鯉の持つ力、輝きとかが好きです。

錦鯉は模様があるわけなんですが、”鑑賞=模様”である必要はまったくないし、そもそも好みの部分なのですから、形式がある方が変で、本来ならHOW TOなどありえないんですけどね。

HOW TOが必要なものには品評会があります。これはHOW TOが必要です。なんといってもルールがあって、そのルール上でもっとも適した鯉が優勝するわけですから、ちゃんと傾向と対策をしていないと勝てません。ただ、まあ、そのルールは、鯉の持つ魅力を総括した上に成り立っているわけではなくて、大口のお客さんでガチンコファイトを繰り返してくれる市場を支えてくれている人たちが喜ぶように出来ているような印象は受けます。出来ているというか、会社で言えば大口の株主さんみたいなもので無視できないでしょ。支えてもらっているわけですから〜。流れはともかく、ルールがある以上、それにあった鯉が一番です。

ルールのないものにHOW TOは作れないし、本来鑑賞は個人の好みで、幅が広くていいように思うわけなのですが、けっこう同じような鯉が人気が高かったりしますので、幅は狭いんだな〜と思ってしまいます。型枠鯉みたいな感じで、同じものがたくさん出来たら、みんな喜ぶんだろうな〜と思っています。


鯉の評価を変える。

”から ”育てる楽しみ”に、全体の意識が変化していかなけば、”錦鯉は、お金持ちの道楽!”のイメージから脱却できないでしょう。それは国内の愛好家が減少いくことと同義語と考えています。

錦鯉は誰でもどこでも飼育できる庶民的な観賞魚です。

鯉を知らない多くの人に事実を知ってもらいたいと思っています。
”鯉って高いんでしょ”って言われたら否定しましょう〜。

錦鯉は鯉であって、色のついた鯉として個人の楽しめる範囲で楽しめば良いということです。
鯉は褒めて楽しむものですしね〜。
人間のサガとして欠点の方に目が行きがちだけれども、生き物であることを理解して
長所を楽しむのが、余裕のある大人の楽しみ方かな。とは思います。


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